IIJでは広報誌「IIJ.news」を隔月で発行しています。本blogエントリは、IIJ.news連載コラム「インターネット・トリビア」を転載したものです。IIJ.newsはご希望者へ郵送でお送りしています。また、IIJ WebではPDF版をご覧頂けます。
IIJ.news vol.143 もくじ
- ぷろろーぐ「ゼロからの出発」 鈴木 幸一
- Topics The Internet
- インターネットが起こした変革
- 今、インターネットに求められるもの
- IIJサービスの歴史
- [特別寄稿]インターネットの未来とは?
- インターネット・トリビア: インターネットとAUP ※この記事で掲載
- グローバル・トレンド: トロントで開催されたM3AAWG
- ライフ・ウィズセーフ: マスクの効果 ※新連載
それぞれの記事はIIJ.news PDF版でお読み頂けます。
インターネット・トリビア: インターネットとAUP
IIJ 設立直後のインターネット接続サービスの紹介資料を見ますと、そこには「AUPフリーな通信を提供します」と書かれてあります。
AUPとはAcceptable Use Policyの略で、インターネットに関する文脈では「そのネットワークをどのような用途に使うことが許可されているか」という制限を示すために使われます。そして「AUPフリー」と書かれた場合は「利用用途に制限のないネットワーク」を意味します。
AUPという言葉は、今でこそほとんど意識されませんが、IIJが設立されることになったきっかけの一つがこの言葉に込められています。
IIJ が設立され、正式にサービスを開始した1992年から93年にかけては、外資系通信会社との合弁会社であるAT&T JENSなど、日本でインターネットの商業的利用が始まった年として記憶されています。ですが、92年より前に日本にインターネットがなかったわけではありません。
それ以前のインターネットの姿はどのようなものだったのか?
実は当初、インターネットの担い手は、大学を含めた研究機関でした。研究機関が構築・運営するアカデミックネットワークは研究のためのものですから、そのうえで研究以外の通信を行なうことはできませんでした。これらのネットワークに参加していた企業も、あくまで研究目的という名目であり、ネットワーク上で商売に関わるやり取りを行なうのは御法度だったのです。このように、研究目的以外の利用を禁止するというのが、日本の最初期のインターネットにおける AUPでした。
しかし、インターネットの可能性に着目していた人たちは、研究目的ではない、商業利用を含めた自由なネットワークが必要だと考えていました。そういった背景のもと設立されたIIJ は、電気通信事業者として用途の制限のない商用ネットワークを提供したのです。
ところが、IIJが最初に提供したインターネット接続サービスは、完全な意味で「AUPフリー」とは言えないものでした。そこにはインターネットの中心であったアメリカの事情が関係しています。
93年頃は、アメリカでもまだ商用ネットワークが十分に発展しておらず、アメリカ国内のインターネットは、実質的に米国の研究機関が運営するNSFNETによって相互に接続されていました。このNSFNETもアカデミックネットワークであり、研究目的に限るというAUPがあったのです。
当時、IIJは日米間の回線を経由して、アメリカで商用ネットワークを提供するISPと接続していましたが、他の商用ネットワークとの接続がまだ十分に進んでおらず、アメリカ国内の他のISPと通信を行なう際にNSFNETを通過してしまう場合もありました。そのため、NSFNETにおけるAUPの影響を受けたのです。
その後、93年に発足したクリントン政権によるNII(National Information Infrastructure)構想を受けて、アメリカに複数のNAP(Network Access Point)が整備され、商用 ISPはNAPを経由して相互に通信を行なうようになりました。このような経過を経て、95年にNSFNETがネットワークの相互接続機能としての役割を終え、各地の商用ネットワーク同士がNSFNETに依存することなく通信できるようになったのです。
IIJもアメリカのNAPにそれぞれ接続し、他の商用ネットワークとの通信を行なうようになりました。こうして日本でも、アカデミックネットワークのAUPに影響を受けないインターネットが利用できるようになりました。